今を遡る昭和十三年二月十二日強風雪荒れ狂うこの地の上空を一機の陸軍輸送機乗組員笠井大尉以下7士を乗せ低空爆音轟かせて飛来するということがあってこの後当時の熊ヶ谷飛行学校所属の輸送機(雪中耐寒飛行)であったことも判明し墜落した機体も福島、新潟両県境付近で行方がわからず翌月機体と悲しい遭難者の遺体が発見されたのです。この遭難救出に携わった多くの旧湯之谷村、それに小出町の方々に敬意の念を禁じ得ない。前回、と今回と慰霊祭を企画された田中六郎さんと八海昭夫さんに謝意をおくります。